天慈のふらちなblog探検記

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削除しないことはきっと誰かのためになるとそう信じてるよ

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天慈のフラチな日記 - 書き手の本質が現れる

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あたしが昨日書いた「天慈のふらちなblog探険記 無情にも消えていくログをただ見つめているしかなかった」のコメントにしゅうかさんが書いてくれたことを読んでいて思い出したことがある。それが2000/2/6の日記「書き手の本質が現れる」なんだけどね。



しゅうかさんがどうして自分のログを封印するのかが今ひとつわからないし、またそれを追求するものでもないのでそれについては何も問わないけれど、私の場合の過去記事の削除、特に紹介する過去記事は保存も何もせずに完全に抹消してしまったので、今の私はそれをひどく後悔してるんだよね。

たとえば、昔はこういうブログじゃなかったら掲示板などに日記などの感想を書いてくれるわけで掲示板の場合は書かれたことに「不快に思った」という記述があったとしても流れていずれは消えてしまう発言なわけで。
ただ「削除しました」とだけ書いてあれば後に事情の知らない人が読んだとしても「何が書かれていたんだろう」と悶々とする人だっていないわけじゃないよなあって。
まあ、あたしの日記は当該記事は削除はしたけれど、くどくどと言い訳がましい後述を書いてるってことで、何となく何が書かれてあったのかは想像がつく。グチを垂れ流してたってことだったんだろう。たぶんリアルのグチを。けれど、それに対してよくない的な書き込みをされて、またそれが初めての批判めいたことだったせいもあって、あたしは動揺したんだな。好きな相手に否定された、嫌われた、改めなければと思い込んだんだと思う。
だから「わざわざここで私が内臓をブチまく必要はないわけで、私は物語でみんなに自分を知ってもらえばいいんだ。」と書いたわけだけど、それってあたしの本心じゃなかったんだと思う。つーか本心じゃないし。あたしって自分にウソついてたんだなあって。(^^;

あたしは別に自分のドロドロしたところをぶちまけることが悪いことなんだとは本当は思ってない。あたしはワガママだしグチたれだし好き嫌いは激しいし、好きな人にはえこひいきするし、とにかくあたしは「いい人」なんかじゃないもの。

けれど、昔は好きな相手に好きになってもらいたいから嫌われたくないから、だから日記などで自分のイヤな部分を出したりしてそれを指摘されたら相手の気持ちに添うように直そうと必死になってたんだと思う。「なんか違うぞ」と思いつつも。
あたしは吐き出して前に進むタイプだったのに、無理やりに押し込めようとしてた。そりゃ綻びが出てくるのはしょーがないよねえ。

あれから何回か日記で部分的に削除したりしたこともある。それはまあグチとかそういうことではなく、誰かのことを取り上げて書いたはいいけれど、その書かれた人にとっては書かれたくないことだったということが後にわかり、それで削除したり意味は変えずに書き換えたりしたという類。
けれど、削除する前のオリジナルはちゃんと保存はしてた。まあ、効果が出るかどうかはわからないにしても、人と付き合う上で似たような失敗はしないつもりでという気持ちがあったからではあるんだけど、結局は活かされることもなく何度も似たようなトラブルにまで発展はしちゃったんだけどね。
けれど、それでも少しづつ対人関係をうまく取れるようになっていってるとあたしは思うよ。

で、思ったんだけど。

やっぱりさ、何かを書いて、たとえばとある人の日記を取り上げて(それがパスワード制の場所じゃない限り)書いて自分の考えを書いた場合、それを読んだその書かれた相手とか他の人とかが「不快に思った」とか言ってきた場合、その部分とかその日の日記そのものを削除してしまって謝罪するっていうのも不親切なことかなあって思ったんだよね。
ブログで言うなら、その日の日記は最初からなかったことにしてしまって一切コメントごと削除してしまえば、その後に訪れる人にとってはそういう記述はなかったとなるわけで。
そりゃずっと訪れてる人にとってはなかったことにはできないわけだけど、少なくとも後に訪れる人にとっては過去にどんなトラブルがあったかなんて誰かが話してくれない限りは知りようがないものね。
とすれば、削除するのなら完全になかったものとしてバッサリと削除をしてそれについての謝罪も一切残しておかないことが必要かなあって。
謝罪するのなら当該記事はそのままにして、謝罪する部分だけを追記っていう感じで謝罪すれば「なるほどこういうことがあったんだねえ」と後に訪れる人にはわかるわけ。それでまたその人が何かを考えるきっかけにするっていうのも意義のあることかなあって、そう思えるようになってきたよ。
だから、あたしは過去にあったトラブルの日記も問題ない分はそのまま復活させて再掲載している。で、それについてのお断りを追記という形で付け加えているんだけどね。

いやでもほんと、中には「ほんっとあたしってバカだったよなあ」というような出来事もあってねえ、読み返すと痛いのなんのって。(爆)
でも、その痛みは忘れちゃダメなんだなあ、なかったことにしちゃダメなんだなあって今は思ってる。

そんなふうに自分の軌跡を残すのも悪くないかな。そんなバカなあたしを見て「こんなヤツにはならないぞ」って誰かが思ってくれたら、それだけでもあたしっていうバカ人間でも誰かのためになってるんだよなあなんて思えることは、けっこう救われることかなって思う。

想い出系 | permalink | comments(2) | trackbacks(1)

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この記事に対するコメント

コメント代わりに、TBのお届け♪
(実際には他にも色々な人の記事を読んで、それに刺激されて書いたモノですが(^^ゞ)
しゅうか | 2006/05/24 11:05 PM
しゅうかさん、ありがと♪
夜にじっくり読みに行くね。(^_^)v
天ちゃん@わあいいただきっ♪ | 2006/05/25 4:27 PM
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